死太い

半分死んだような顔をしているのは気のせいである。
もともと生きた試しがないのだから、死ぬも糞も無い。


先日、「本当に生きられるような気がする」と書いたが、その支えの「表現」をやることに疑問を持つ。
僕は罪を犯し、こうして奇妙な生活を送っているのですが、コレが、この先にあるものが果たして正解かどうなのか分からないのです(正解などないのであろうが)。
生活の中の笑い・じゃれ合い、コレに対しても懐疑的になります。
ハッとすると、「僕は何者だろうか」、コレにたどりつくのです。
まさしく自分がなんなのか分からないわけで、本質の欠片も捉える事ができないわけで。
僕はこの先どう生きればいいのだろうか。


これを書いてる最中もハッとすれば・・・ウソに見える。
何が正しくて何が間違ってるのかの判別もつかない。
一つ言えるのは今の僕は間違っているだろうということ。
だからといってそれを改めるプランをもっているのでもないし、決意も失墜している。


とにかく生き方が分からない。
どうやったら加害者として自分を裁き、罰することができるのか。
野垂れ死にのプランしか持ち合わせていない。



一寸先は虚無。








*追記*
この苦悩は日ごろからだが、ソレの増進は、同級生の父親に「いいな、○○はやりたいことがあるから」と言われたことに起因する。と思う。