シュ都参詣 中編

※日を越え、越えてまたいで必死に書いたので多少支離滅裂です。
 そのうち修正します。
 いまさら感はぬぐえませんが、どうぞ。 



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ヴァランティーヌ・ユゴーによる装飾的コラージュ『シュルレアリスム・グループのメンバーによるコラージュ』を抜けると・・・。


3 不穏な時代 1929-1939


第二次世界大戦が近づいてきて、その風潮などによってシュルレアリストもやっきになっていたのかもしれませんね。
「偏執狂的(パラノイアック)=批判的(クリティック)」と題されたコーナーでは、ダリの登場によってかなり過激に、挑発的になっていく。
しかし、やっぱりダリはファンが多いよね。
強烈なイメージで分かりやすいものね。
まあそういう僕もダリからシュルレアリスムに入りましたけども。
ここにあったのは『不可視のライオン、馬、眠る女』『部分的幻覚:ピアノに出現したレーニンの六つの幻影』の2点。
『不可視の〜』では、ダリお得意のダブルイメージ・・・どころかトリプル、はたまたそれ以上のイメージが重なっている、困惑するような作品だ。
タイトル通りライオン、馬、眠る女はもちろんのこと、・・・いや、むしろこれがメインなのかもしれないが、船が見える。
船の図像をこの絵の中に見た時、まっさきにノアの箱舟が思い浮かんだが、戦争の危機を抜け出すための船・・・というのは考え過ぎだろう。
ブローネルの『光る地虫(もしくはツチボタル)』、これはマン・レイの写真作品『ミシンと雨傘』と同じく、『マルドロールの歌』が題材だそうだ。
これは前回紹介した作品よりも数年前のものだ。
ブローネルにしてはなかなか挑発的で熱狂的作風だが、このころはまだ、ダリの影響が色濃いようだ。
ブローネルがシュルレアリスムに接近したのは1930年ということで、結構遅いのだ。
マグリットの『赤いモデル』は美術の教科書の年表に載ってたり、言わずと知れている。
マグリットは主張性(メッセージ性)が強い作品が多いように思う。
他にフォトモンタージュ作品が数点あった。
フォトモンタージュとは写真によるコラージュで、ダダの時代からの技法だ。
ラウル・ユバック『無題[モンタージュ]』は、浜辺のような場所に、奇妙なオブジェが積み重ねられていて、どこかしらタンギーっぽい。
ドラ・マール『まねをする子ども』『無題[夢幻的]』はよくできた作品。
切り貼りがキレイで、イメージとしても幻想的、まさに夢幻的である。
「侮蔑された絵画」というコーナーでは、エルンストのコラージュロマン(コラージュ小説)『百頭女』からの数点が展示されていた。
エルンストのコラージュ・ロマンは三作とも(『百頭女』『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』『慈善週間または七大元素』。いずれも河出文庫)持っている。
その中で僕が一番好きなのはやはり『百頭女』。
エルンストのコラージュは単体でも想像力を掻き立てるが、それが集合体となると、悪魔的イメージの連続となって一つの奇妙な物語を生み出しているかのようだ。
『百頭女』では、最初と最後に同じイメージを持ってくることによって、言い知れぬ衝撃を受ける。
単体のイメージで考えると、ここにも展示されていた『風景は三度変わる(1)』なんかが傑作だと思う。
ちなみに『侮蔑された絵画』とは、ルイ・アラゴンの著作のタイトル。
その中でアラゴンは、エルンストのコラージュについていくらか言及しているようである(『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』の巻末などでソレを読むことができる)。
写真作品のコーナー、「シュルレアリスムのオブジェ」。
その大半をマン・レイの『数学的オブジェ』のシリーズが占めていた。
マン・レイの写真は、なんといっても黒の構図が良い。
銅版画をやっていたという僕の知り合いも言っていたが、「黒という色は奥が深い」。
水墨画なんかもそうだろう、デッサンなんかでもそう感じることがある。
今回の『数学的オブジェ』シリーズは、その立体の形態と相まって、神秘性を感じるほどの黒である。
その他に、クロード・カーアンの『三足の靴』、ヘルベルト・バイヤーの『ガラスの眼』なども印象深かった。
お次は「供犠」と題されたコーナー。
このコーナーは全体的にエロやグロを感じる作品が多い。
まずマッソンの絵画が数点。
『殺戮の場面』『大虐殺』『バッカナーレ』はいずれも同じような作風で、混沌としている。
一番印象深かったのは『噴き出る血』。
闘牛をモチーフに描かれているだろうこの作品は、画面上の空白が奇妙な雰囲気を醸し出している。
その雰囲気とは、事件・事故が起きる瞬間の「アッ」という、あの時間が止まるような感覚に似ている。
映画でもスローになる、アレだ。
牛の角に突かれた白馬と背合わせになっている骸骨(死神だろう)が、死を強烈に感じさせる。
渦のように描かれた地面、右上と右下の馬と闘牛士などが、死の瞬間を圧倒的なものにしている。
ジャコメッティのブロンズは、どれも猥雑だ。
性行為を表したかのような『男と女』、板に棘がついているような形態のその名も『処分されるべき不愉快なオブジェ』、もがき苦しんでいるような『喉を切られた女』など。
そして、脚の長いテーブルの上に女の生首と手首のある『テーブル』という作品。
他にも小鉢や、奇妙な幾何学的形態がそのテーブルに乗っている。
女の首は長いヴェールをまとい、その瞳の無い目は辛らつに宙を見つめているかのよう。
4本の、それぞれ異なった形状の不揃いな脚が、天板を支えている。
何が恐ろしいって、それは家具として存在していても不思議では無い、ような気がするところだ。
エリ・ロタールの、食肉処理場を写した作品群(『ラ・ヴィレットの食肉処理場にて』、三作同タイトル)は打ち棄てられた毛皮や整然と並ぶ切断された仔牛の脚が、不気味だ。
ほかに、自作の球体間接人形『人工的少女』を撮影したハンス・ベルメールの『人形』、エロスと不安を描いたようなウィルヘルム・フレッディの『聖アントニウスの誘惑』などがあった。
「欲望」のコーナー。
ブローネルの『欲望の解剖学』シリーズが合わせて五点(内、一点は『完全な女』)。
これらは紙にインクで描かれている上、文章や解説図まで挿入されていて、まるで図鑑の刺し絵のような、もしくは生物学の学術資料のような作品だ。
ここでダリと比べてみる。
ダリは欲望に対し熱狂的、情熱的、熱烈である。
ブローネルはというと、どこか欲望というヤツを冷静に見つめているようだ。
も少し言うと、少し嘲笑的であるような気もする。
油断すると、解説図で笑ってしまう。
『夏の行進』、マグリットの作品。
これも初めて見たが、マグリットの中で珍しい作品だと思う。
マグリットというとのっぺりした肉体を描くイメージがあったが、なにやら肉感的なトルソである。
背景の空と地面は、立方体のブロック状になってずらされている。
そのイメージが、真っ二つに切られ組み合わされたトルソと呼応している。
トルソと言えば、アーウィン・ブルーメンフェルド『マニーナあるいはトルソの魂』『鏡の中のMのトルソ』、マン・レイ『女の胸像』シリーズもそうだ。
トルソは胴を切り取った形であるからして、その肉体を強調する。
『マニーナあるいはトルソの魂』は石膏像の上に女が首を乗っけていて、はっきり言って気持悪い。
『鏡の中のMのトルソ』や『女の胸像』は、女体の腕と腰から下を隠して、彫刻のように見せている。
どちらも『夏の行進』のような言い知れぬエロスを感じる。
マン・レイは他にも『ベールの裸体』、その顔部分を塗りつぶした『ベールをかぶった裸体』、有名作品『祈り』、『手』など。
『手』は重なり合う二つの手、それだけでエロスを感じるような写真作品。
手はシュルレアリストにとって重要なイメージだったらしく、何作も手をモチーフにした作品があった。
リュシアン・ロレル『ロートレアモン「マルドロールの歌」のための挿図』、クロード・カーアン『無題[手]』、ドラ・マール『無題[手−貝]』。
ロートレアモン「マルドロールの歌」のための挿図』、植物−岩(?)−手が並べられている様子は、まるでメタモルフォーゼのようで不思議な感覚だ。
他にもいくつかの写真作品があった。
切り取られた腕の一部を持って、驚きの表情を顔に浮かべ鏡の前に立ち尽くすヘルベルト・バイヤー『セルフ・ポートレート』。
ジャック=アンドレ・ポワファールの無題作品二点(「銃とアンプル」「女性の顔に車輪のような物体を重ね、その影が胸元に落ちる」)。
そしてここに、一点だけピカソの絵画があったのが印象深い。
続いて「神話学」のコーナー。
ギリシャ神話の「ミノタウロス」は、シュルレアリストがとりわけ好んで用いた題材だったようだ。
ここでもマッソンの作品が数点あったが、いずれもがギリシャ神話からのイメージ、その中で4作品中3作品にミノタウロスが登場している。
その中で『迷宮』と題された作品は、美術の教科書などでご存知の方も多いだろう。
ミノタウロスが迷宮の中にいるのではなく、彼自身が迷宮となっている、激しいタッチの作品だ。
それと似た、同じくマッソンの『迷宮の秘密』という作品も展示されていた。
どちらもニワトリと、燃えるような赤で心臓が描かれている。
ブルーメンフェルドの写真作品『仮面のセルフ・ポートレート』もミノタウルスがモティーフ。
牛頭と人の腕の対比、下から照る光が、恐怖を演出している。

クソのような余談ではあるが、僕も以前にミノタウロスに関するスケッチを残している。
何の機会だったかは忘れたが、この神話について調べた時に、酷く魅かれたのだ。
今ふたたび調べてみると、同じように興奮してくる。

それがブローネルときたらちょっと違う。
とうとう化けたか。
ここへきて、何やら独自の信仰、神話を切り開いたように思える。
『マンドラゴラ』『アレクサンドリアのヘロン』の二作は、眠りに落ちたような女の横顔が印象的だ。
背景や他のモチーフが立体的であるのに対し、人物は平面的である。
マンドラゴラとはハリーポッターにも出てきたマンドレイクのことであり、この作品にも植物が登場している。
女の腕は箱を突き抜け木の根に変わり、肩のあたりには輝く木の実、奥に人型の木の根。
傷だらけの腕に猫と鳥のあいのこがとまっているのもまた奇妙。
アレクサンドリアのヘロン』は白の激しいタッチが人型となっている。
その人型と女は何やらダンスしているようでもあり、性行為にいそしんでいるようでもある。


ここでシュルレアリスムの資料コーナー。
当時の日本でのシュルレアリスムの紹介は少しダダっぽい。
しかし、『みづゑ 臨時増刊 海外超現實主義作品集』に目を奪われた。
どういう意図であるかは別として、表紙が一面木目であるのは、評価が高いと思う。
巌谷國士が編集に関わっていたのかもしれん。
マッソンとジョルジュ・バタイユが創刊に関わり、ピカソブルトンらも参加した前衛芸術雑誌『ミノトール』の展示も行われていた。
マッソンとバタイユがつけたミノトールという雑誌名はやはりミノタウロスのこと。
『ミノト−ル』第6号の表紙は、マン・レイ『埃の培養』の上にデュシャンの『ロトレリーフ』を重ねている。
こういう迷宮の描き方もあるのだな、と感嘆する。
他の号の表紙もミノタウロスをモチーフにしており、第12/13号の表紙はマッソンの『迷宮』のラフであった。
1938年の「シュルレアリスム国際展」での、ダリやデュシャンマン・レイ、エルンスト、タンギーなどのマネキン作品を撮影した写真がズラッと展示されていた。
それぞれの芸術家が思い思いに飾り付けたマネキン達は、奇妙な具合にユーモラスだ。
ダリの『雨降りタクシー』の写真もありました。


さて、再び映画のコーナー。
『アンダルシアの犬』『黄金時代』、どちらもルイス・ブニュエルとダリの協作映画だ。
僕は『アンダルシアの犬』は何度か見た事があったので、とりあえず『黄金時代』(こちらはどうやら抜粋のようであった)を観た。
『アンダルシア〜』程のインパクトは無いが、彫像の足をなめずりまわしたり、ド変態映画だった。
この『黄金時代』には、エルンストも出演しているそうで、それを探すのにも夢中になったが、結局分からなかった。
エルンストは後の文書で、この映画を絶賛している。
『アンダルシアの犬』を再び観る。
大画面の感動はそれほどない。
やっぱり強烈なイメージの連続で胸糞は悪いが、興奮するし、ちょっと清々しい。
Youtubeにもあるので是非観て頂きたい(原題:『Un Chien Andalou』)。





つづく